あとりえ・う(畦地梅太郎ギャラリー)

畦地梅太郎

山の道

山の道
売約済

額寸:38×38cm
画寸:33×21cm

火の山におどろく

火の山におどろく
売約済

額寸:56×44cm
画寸:38.5×28.5cm

雪の中の男

雪の中の男
額寸:65×52cm
画寸:44.5×33cm

とんぼ

とんぼ

めぐりあい

めぐりあい
売約済

額寸:80×61cm
画寸:38.5×28.5cm

静かなる通

静かなる通
売約済

額寸:29×33cm
画寸:11×14cm

赤阿蘇

赤阿蘇
売約済

額寸:47.5×59.5cm
画寸:29×41cm

浅間山

浅間山
売約済

冬山

冬山
売約済

凍土

凍土
売約済

額寸:90.5×66cm
画寸:69×45.5cm

山のぬくもり~峠を越えた男

山のぬくもり~峠を越えた男
売約済

額寸:38×38cm
画寸:19.5×20.5cm

山のぬくもり~水

山のぬくもり~水
売約済

山のぬくもり~ふりかえる

山のぬくもり~ふりかえる
売約済

山男

山男
売約済

山男

山男
売約済

山の眼玉~山男

山の眼玉~山男
売約済

さけぶ鳥たち

さけぶ鳥たち
売約済

額寸:36×39.5cm
画寸:18×22cm




畦地梅太郎の作風

畦地梅太郎は、二十歳の頃から画家を志しますが、船員、石版印刷工などを経て、内閣印刷局に就職し、仕事の空き時間に職場にある材料で鉛版画を試みたことがきっかけで、平塚運一との知遇を得て版画家への道の第一歩を踏み出し始めました。その後、恩地孝四郎、前川千帆らに影響を受け、故郷や都会の風景、そして山岳風景を題材とする作品を制作しています。1952年より「山男」を題材にした作品を発表するようになり、1958年の「白い像」は山男シリーズの頂点をなす作品と言えます。以後、「山男」の中に自分を表現したような親しみとぬくもりのある作品を次々と生み出していきました。畦地の山岳作品や山男などの作品は、多くの人々の心をとらえ、いつしか山の版画家と評されました。

画家略歴 畦地梅太郎


畦地梅太郎
あぜちうめたろう


1902年愛媛県に生まれる
1922年日本美術学院油絵の通信教育を受講する。七星会を結成する
1926年内閣印刷局に勤務し、鉛版による版画を試みる。平塚運一に師事する
1927年日本創作版画協会第7回展に出品し入選。恩地孝四郎の指導を受ける。内閣印刷局を辞し、版画家になることを決意する
1928年春陽会第6回展、国画創作協会第7回展に出品し入選
1930年第2回内国美術展覧会に出品し、国際賞を受賞。 第11回帝展に出品し入選
1932年日本版画協会会員となる
1935年版画集「伊予風景」制作のため、伊予の各地を巡る
1937年国画会第12回展に出品し、国画奨学賞を受賞
1940年国画会15回展に出品し、国画奨学賞を受賞
1943年東北アジア文化振興会の要請で中国に赴く(翌年帰国)
1944年国画会会員となる。(1971年退会)
1948年日本版画協会第16回展に出品し、H賞を受賞
1949年日本山岳協会会員となる
1953年第2回サンパウロ・ビエンナーレに出品
1956年
第4回ルガノ国際版画ビエンナーレに出品
1957年第1回東京国際版画ビエンナーレに出品
第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品
1960年第2回東京国際版画ビエンナーレに出品
1962年第3回東京国際版画ビエンナーレに出品
1967年近代日本の版画展に出品
1973年畦地梅太郎<とぼとぼ50年>展が愛媛県立美術館で開催される
1976年日本版画協会名誉会員となる
1979年とぼとぼ60年・畦地梅太郎版画展が銀座、ミキモトホールで開催される
1982年畦地梅太郎山岳版画展が大町山岳博物館で開催される
1983年畦地梅太郎版画展が町田市立博物館で開催される
1985年愛媛県教育文化賞、愛媛新聞社賞を受賞
畦地梅太郎展が愛媛県立美術館で開催される
畦地梅太郎版画展が須坂市立博物館で開催される
1986年三間町名誉町民となる
1987年畦地梅太郎版画展が町田市立国際版画美術館で開催される
1988年南海放送サンパーク美術館・畦地梅太郎記念美術館開館
畦地梅太郎展が新宿、小田急百貨店で開催される
1991年畦地梅太郎版画展が町田市立国際版画美術館で開催される
1998年町田市名誉市民となる
1999年「とぼとぼ96年」畦地梅太郎展が南海放送サンパーク美術館で開催される
1999年4月12日 逝去